えんのしたの
まつしたさん
Project Story
自然、人と
向き合って16年。
いつか完成を
迎える日まで
“松下さん”はいつだって縁の下の力持ち。建設工事をとおして、目に見えるものから目に見えないものまで、ずっと地域と人々の暮らしを支えてきた。
創業66年。多岐にわたるプロジェクトのなかから、2つの物語にスポットを当てる。
Project / 02
二見田浦線道路改良工事
2004.10 〜
八代海に面する海岸道路を通る県道245号「二見田浦線」。いかにも芦北町らしい風光明媚な海岸線で、ショベルカーはパワフルに音を鳴らし、工事をすすめている。この二見田浦線は県道にも関わらず離合できないほど狭い道が続いており、その横に新しく広い道をつくる道路改良工事を、松下組が約20年にわたって続けている。
現在、工事の指揮をとるのは土木工事長の田代だ。潮の満ち引きが関係する海岸工事ならではの工事の難しさと、年々強くなるものづくりへの想い。時折吹く強い潮風とまぶしい陽の光を浴びながら、今描く未来を語ってもらった。
PROJECT READER SYUICHI TASHIRO
プロジェクトリーダー 田代 修一
Story. 01
自然に
寄り添って
八代市から芦北町に至る県道245号二見田浦線。驚くことに、軽自動車1台がやっと通れるほどの狭い道が続いている。ここは昔から、救急車や消防車の交通が困難という問題を抱えていた。また海沿いということもあり、波が高い時には海水が地上まであがってきて、家屋が潮に浸る、道路が海水で浸水するなど、地域の人々の生活に支障をきたすこともあった。
「周辺住民の方やここを訪れる人たちにとって不便な場所で、時に命の危険を強いられる場所でもありました。そのため海を埋め立て、環境の整備が必要不可欠でした。まず何が必要かというと、道路の拡幅です。離合できない狭い道の横に新しい道路をつくること。そして、“消波ブロック”と呼ばれる波の勢いを弱める構造物をつくることでした」。
このプロジェクトにおいて最も大事なのは、“潮見表”を組み込んだ工程を立てることだ。海岸工事であるため、潮が引いているときに一気に施工する必要がある。しかし潮の満ち引きは毎日変化し、時には夜中にしか施工できないこともある。“その日”を逃してしまうと工程が大幅に遅れることから、油断できない日々が続くという。たとえば、夏場は昼間に潮が引くが、冬場は夜にしか引かない。前後4時間程度の作業時間が勝負だ。海と向き合うことは、自然そのものと向き合うこと。予測不能なことも多く、湾岸工事ならではのさまざまな困難と向き合いながら、職人としての力やチームを束ねるリーダーシップを発揮することが求められてきた。
Story. 02
道路に宿す
熱い志
当初の施工計画では、消波ブロックは大きなトラックを使用して現場まで運搬して据え付けるようになっていたが、大型車両が通ることによって近隣住民に迷惑がかかることを考慮し、台船を使い、海上を運搬して据え付ける方法をとった。またどうしても陸上を運搬する場合、大型の運搬車が地元道路を通るときには先導車をつけて、地元の人に配慮するなど、地元企業としての細やかなこだわりを大切にしてきた。
「建設業に携わる者として、“地図に残るもの”をつくるという醍醐味は大きいです。見た目も美しく、世の中に役に立つものの工事を、慎重にすすめていくことにやりがいを感じます。この二見田浦線でいうと、消波ブロックの制作ひとつをとっても、型枠の組み立て、生コン打設、構造物の品質の管理、型枠の取り外しなどさまざまな工程があります。ブロック自体の個数も200〜300個と多く、一つひとつの品質を確保するのが難しい作業となります。また肥薩おれんじ鉄道に接していることから、鉄道の近くで施工するには専用の資格が必要となります。鉄道近接工事の施工ができる資格を、多くの人が取得できるように会社としても奨励しているんです」。
Story. 03
一つひとつ、
想いを積み重ねて
2004年に工事をスタートして16年。地道に工事を続け、施工延長は約2.5kmにのぼり、住宅が多い場所に関していうと道路拡幅に対応できるようになっている。海水が上がってくることもなくなり、快適に生活がおくれるようになったことで、地域の人々から感謝の声も届いている。
「潮を読み、きちんと工程を組んで、自分の考えを職人たちに伝えること。これを大事にしてきました。常に考えているのは、良い品質のものを届けて、発注者に喜んでもらうこと、そして何よりも地元の方の暮らしを安心・安全にするものをつくるという決意。いいものをつくろうと思ったら、やっぱり手間はかかります。それでも出来上がった道路を、自分の子どもに『これはお父さんがつくった道路だよ』って胸を張って言えるのは、技術者の特権ですね」。
積み重ねた20年の努力に自信をみせながら、「技術はもちろん、大切にすべきは人」と、リーダーとしてともに働くメンバーへの気遣いを怠らない。空と海がひとつに溶け合う穏やかな場所で、今日も少しずつ、少しずつ、道ができていく。この16年の足跡は、地図には残らない。それでも彼らのつくった道は、芦北町の風景とともにずっと在り続ける。